キレイなものが大好きで、きれいになりたい、日々健やかに美しくありたい。
私ももちろんそう思いますし、皆さんもきっとそう思っているはず。
ですが、日々の生活の中で、そんなモチベーションを保ち続ける事って、
とても難しいですよね。
例え、自分が最大限の努力をして、他人に迷惑をかけず、
笑顔で過ごしていたにしても、
災難や、犯罪に出くわすことはあるのです。
犯罪の被害者になるというような、大きな事件はなくとも、
買い物で順番を抜かされた、すれ違う人にぶつかられた、上司に小言を言われた
など、自分のイライラボルテージを上げる些細なことは、日に、何度起きている事か。
そう考えると、それでも人の中に生きて、なおかつ
自分も周りの人も心地よく過ごせるように気遣うあなたは、なんて献身的なんでしょう。
イライラに勝つには、まず自分の正当性を自己認識しよう。
心優しく、生きている人に多いのが、
他者からの理不尽な行動に振り回されても、
つい、”自分が悪かったのかな?”、”自分が注意していなかったからわるい”
などと、自分を責めがちです。
もちろん、そのような状況もあるでしょう。
けれど、あなたが詐欺にあった場合、悪いのは犯人です。
順番抜かしされた場合、悪いのは順番を抜かした人です。
それなのにあなたは、あなたの心の中で、
「自分が悪かったのかも!」と、自分を責めているのです。
生きる上で謙虚さは大切ですが、度を超すと、世界は「生きづらい」世の中に変わります。
あなたの怒りは犯人に届いていますか
さて、あなたは、自分に遠慮せずに怒ることが出来たとします。
ところでその怒り、犯人に届いていますか?
人の嫌がる事が出来る人というのは、そもそも厚顔無恥ですから、ちょっとやそっとでは伝わりません。
まして、犯罪者や詐欺師が相手だと、悪いことは分かっているのに、開き直って平気で
人を傷つけるのです。
そんなに人間に、あなたが怒ったところで聞き入れるでしょうか?
きっと聞き入れませんよね、それどころか、悔しい気持ちでいっぱいになることでしょう。
嫌なことは忘れる?犯人は野放し?
では、嫌なことは、さっさと忘れますか?
それも生きていくうえで、大切なことです。
忘れることが出来るから、また新しい日々を手に入れることが出来ます。
しかし、それでは、あなたを苦しめた犯人は野放しになっています。
ではどうすればよいでしょうか。。。
犯人に告ぐ、私は執念の刑事になる
映画やドラマで犯人を追い詰める「執念の刑事」がいますよね。
あきらめず、執拗に、自分も苦しみながら、犯人を追い詰め、
最後には悔い改めさせる。
ドラマや映画を見ている私たちは、犯人が捕まるところを見て気持ちがスカッとしますよね!
自分もそうなれたら、どんなにスカッとするでしょうか。
私たちと「執念の刑事」の違い
私たちがいくら執念の刑事と息巻いてみても、
私たちは刑事ではありません。
あなたを苦しめる犯人を逮捕することもできないし、
小さなひずみであれば、忘れてしまうことも
健やかに生きる上では大切なことでしょう。
でも、私たちにも出来ることはあります。
それは、誠心誠意、気持ちを伝える事だと思います。
「困ります。」
「とても、嫌な気持ちです。」
「分かり合えなくて残念です。」
そういった言葉を全部我慢する必要はないと思いませんか。
怒っても伝わらない。なら、愛をもって伝える勇気を持つ
自分の子供に、伝えようとするとき、怒りますか?
きっと、わかってもらえるよう、伝え方を一生懸命考えますし、
何度も何度も、あきらめず、努力をし続けるでしょう。
それは、愛だと思います。
もちろん、あなたを苦しめる犯人を愛せよと言っているのではありません。
でも、あなたは通常であれば、愛をもって、困難に立ち向かって、伝える努力をするし、あきらめたりはしません。
とても素晴らしい人なのです。
それを忘れないでほしいのです。
執念という言葉は悪い意味でとらえられるけれど
執念という言葉は、悪い意味でとらえられることが多いけれど、
「執念の刑事」「執念のゴール」など、
粘り強く、努力して結果を得た人にも称賛として使われます。
人に思いを伝えることは、大変な勇気と努力が必要です。
しかし、そのチャンスがあるなら、
カッとなって怒る感情もありますが、
怒っても伝わらない相手に、
冷静に伝えようとする執念をもってもよいのではないかと
私は考えてしまうのです。